おおたみんなの家

おおたみんなの家の園長ブログ

見えないけど大切なもの

世界中のビジネスリーダーたちは『目に見えないものこそが大切だ』と口々に言っています。アルベルト・アインシュタインは『「測れる」ものだけが大切なのではない。大切だが「測れない」ものもある』と言い、アルベルト・シュバイツァーは『成功は幸せの鍵ではない。幸せが成功の鍵なのだ』と説きました。またラビ・ハイマン・シャハテルは『幸福とは、望んだものを手に入れることではなく、もっているものを望んでいる状態のことだ』と解しています。世界中のたくさんの著名人が、過去から今日まで同じような名言を残しています。

しかし、世の中は常に「目に見えるもの」を信じたいと「見える化」や「情報収集」に励み、ときには子どもに対しても「できた」か否かの「見える成果」を目指して教育しようとします。

ちょうど1年くらい前に、GNH(国民総幸福量)が世界で最も高い国、ブータン王国のジグミ・ケサル国王が震災後の日本を見舞って来日し、国会ですばらしいスピーチをされました。そのブータン王国のめざす国づくりは『幸福を生産することではなく、幸福が起こりやすい環境を生み出す、つまりは幸福の住処をつくること』なのだそうです。

GNHの測定にあたっては科学的な分析が行われ、4つの必須事項と9つの主要指標、72の測定基準を使って測るそうで、主要指標のうちの1つは「一日の時間の使い方について国民はどう感じているか」だそうです。

皆さんはこのGNHのような発想をどう感じられますか?

いま世界中の経済学者や心理学者などが、このGNHの発想を取り入れて経済や人間の幸福度を測ろうと必死に研究して、いろいろな著書も出ていますね。経済先進国の政府機関なども、このGNHの考え方について興味を持ち始めているようです。

現代社会において時間は希少な資源ですが、目に見えない「時間」というデータはGDP(国内総生産)の計算には含まれていない(時間に追われることがどれほどの喪失感につながることか!)。

経済や金融などは数字で見えるものですが、その数字は決して人間の幸福を目的として測ったものではない。だから、ときには人間の幸福度と反比例に、数字が大きくなればなるほど人間にとって不幸のリスクが高まる場合もあるのです。私たちはGDPなどの「測る方法や道具」に翻弄され、「何のために、何を測るのか」が見えていないのかもしれません。

このような「測る方法や道具」のもと、私たちの国には経済至上主義的な考え方が至る所に行き届き、「目に見えるものこそ大切」という価値観が根付いています。不便や貧乏は敵とさえみなし、今や保育園は就労支援による労働人口の維持対策、学校教育は経済を支える人材育成の場と位置づけられ、覚えて正解を得るだけの、何とも味気なく面白味のない教育が横行しています。そして、OECDなどの学力番付で低下した学力結果だけを指標に、「ゆとり教育は悪」と位置づけ、問題の本質から視点がずれてしまいました。ゆとり教育が悪いのではなく、ゆとり教育を創造できなかった教育者たち、そしてゆとり教育で何を育むべきかという「目に見えない大切なもの」を考えずに、「ゆとり」という言葉のイメージにとらわれてしまった学校。そこに問題の本質、目には見えない大切な改革の対象があるのです。

子どもたちの世界を見てください。彼らは私たちに教えてくれます。「見えないけど大切なものがここにあるんだよ」と。その見えない大切なものに気づく子どもたちの心は、GDPや経済では決して測れませんね。「目に見えない大切なもの」ですが、それを「読んでみたい(見て見たい)」方に本をご紹介します。

星の王子さま

(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ

今年一年のご厚誼に心から感謝を申し上げます。皆様よい御年をお迎えください。