おおたみんなの家

おおたみんなの家の園長ブログ

子どもの学びを支える家庭と保育園~園だより抜粋~

 子どもたちは保育園で1日の約30%から50%の時間を過ごし、学校では20%~30%を過ごします。その時間の中で養護や教育を受けるのですから、時間的ボリュームで見ればかなり大きな影響がありますね。ただ、子どもがこのような教育を受けるためには、家庭での基礎的な教育が必要です。

 はじめに教育という言葉の定義ですが、要約すると法律等でいう教育には「生活教育」と「学校教育」の2つの定義があり、3歳未満は生活的教育、3歳以上は学校教育と区分がされています。しかし実際にはそんな区分はできませんし、この法的定義づけは、補助金など公金を支出する上での制度区分のためだそうで、実質的な教育内容や効果、方法等まで拘束するものではないようです。人の育ち(発達や成長)の連続性という生理的事実に照らして、それを法律で3歳未満と以上に意味づけを区分するのは無理がありますね。

 幼児教育においては、外界への働きかけや感受性、表現力や身体性、想像力や創造性、判断力や決断力、調整力や協調性などを、協同的に生活し遊ぶ中で体験的に学び、一人ひとり異なる自分自身の個性を子ども自らが育くみ、仲間とともに磨き合うことが大切だと思います。

家庭においても同じように、遊びや生活の中で子どもが興味や意欲をもち、体験的に学ぶことができます。

例えば、水遊びで容器に水を注ぎながら、多いや少ない、どのくらい、などの感覚をつかみ、これを生活の中の分けたり加えたり、数えたりする体験などで数や量の原理を学びます。また、絵本の読み聴きで言葉や文章、文字や言葉の意味、発音や抑揚などを知り、家族や友だちと対話を重ねることで、体験的に言葉の持つ意味や効果などを学びます。大人が見たら遊びに見える行為や、生活における手伝いなども、実は子どもの学びの基礎なのです。

もちろん、このような学びは子どもの発達や身体成長を伴うことが前提になりますから、まだ身体成長が伴わないのに無理をさせ、興味や意欲が湧いてないのに物や機会を与えて「やらせる」のは逆効果です。

園では子どもの遊びや行為を「何がしたいのかな」「何を感じているかな」とじっくり観察して受容し、子どもが自己の興味や意欲を自身の力で満たせるよう支援します。このような客観的な見方や関わり方ができると、子どもの興味や意欲、感情や動機、発達や成長が分かり、一般的に大人が困る行為でも、子どもが得る気づきや成長等に期待する姿勢で対話をしていきます。

家庭での基礎的な教育とは、子どもが興味や意欲を発揮(表現)する力の育成といえるでしょう。規律的で健全な家庭生活や健康、子どもの発達や成長に応じた人やものとの関係と環境、親から受容される自己尊重など生活そのものが、子どもが興味と意欲を発揮できる基盤になるでしょう。

 子どもにとっては園も家庭も学びの場です。私たち保育園は家庭の子育てや教育のパートナーであり、私たちと家庭が連携して、ともに子どもの育ちや教育を考えて工夫し、対話することで、子どもたちの健やかな成長や発達が保障されるのです。